澁澤先生、報告にきたよ。
『二度めの依頼で再び足穂と向き合うこととなりました。』
最初の1001では痛い目にあい、危うく精神を病むところ・・・まさか再び足穂の宇宙で悶絶することになろうとは・・・。今、埴谷の《 ねんねと神様 》そして澁澤先生の《 Draconia 》という個人作品で脳が崩壊寸前という最中での足穂の依頼・・・正直死ぬ、と思った。
否、エピクロス曰く死は感覚の欠如なのだから気にする必要はないのか・・・。
なによりこの足穂は憧れの文士よりのご依頼、身に余るものである。
そして不条理にもやもすれば嫌厭されがちな足穂と埴谷だが私は若い頃から熟読してきた。
言うまでもなく私が最も敬愛している文士は澁澤龍彦であるが・・・。
しかしながらなぜ埴谷や足穂は編集者に「わからん!」と一蹴されるのか?いつも首を傾げてきたのである。
長年そのような冷淡な反応を返されてきた私は、なぜそうなるのか自分なりの解析を試みたが、結論として読み方の違いではないかと思っている。小説として解かろうとしたが「ちっとも解らない」と論じておられるのだと思う。
形而上学的であり実験的要素過多の両文士の書物は確かに難解を極めてはいるが、私個人は小説として理解しようとはせず、文士の脳内の宇宙の解析に愉しみの趣を置きながら読んできた。
私のような形而下の人間には確かに難解は難解であるが、進行していくストーリーと文士の暗号のようなワードが時折だがピタリと腑に落ち膝を打つ時があるのだ。その時の快感が癖になり繰り返し繰り返し埴谷と足穂を読み続けている。
余談を入れると、難解な埴谷の『死霊』だが、池田晶子がある意味よき理解者だと個人的に感じている。
さて足穂だ。
三島や漱石すらディスる変人奇人であったが足穂の『1001』などを読むと、個人的には日本最高の天才ではなかろうかと思う次第。A感覚とV感覚など一見常軌を逸する形而上的思考のように感じるが内実それは天才によるところとわかるのだ。
私は『 流行を追わず、たとえ異端と貶されても、己の思考を貫き通すを良しとし、何より “群れず孤であれ” 』と言う澁澤先生の言葉を信じて生きてきた。
これからも先生の言葉の通り生きたいと思っている。
澁澤龍彦のその言葉を生むに影響を与えた一人に足穂がいたはず!そう勝手に思っている。
さて馬込の足穂さんの家の方は私にはまだまだ遠い・・・
だが避けて通れぬ苦難の路が足穂の家の方で良かった、といささか矛盾した言葉で終わること、お許し願いたい。
こんな若い時から澁澤先生に憧れてきた。
追記
中森明夫といえば『アイドル評論家(+「オタク」という言葉の産みの親で作家もしている)』一般的にはこのような印象ではなかろうか。
とんでもない!中森明夫・・・私の印象は『日本が誇る数少ない思想哲学の“知”の人』である。
ゆえに忘れがたき“知の巨人”西部邁先生に心より深々頭を垂れるのです。
では・・・
佐村河内守 拝