佐村河内守【雑記録】《澁澤龍彦は大盛りカレーを食べない》

※注) 本【雑記録】以後回の全ては決して断定的な発言ではなく、あくまでも私見であり、個人的な主観による意見に過ぎません。

 

この度はオフィシャルサイトを開設いたしました。

何卒よろしくお願いいたしますm(_ _)m

 

さて【雑記録】というだけに、主題あるいはその文脈、またはその流れなど皆無。ただただ思考乱れるがままにそのつど浮かんだ言葉を羅列してゆくだけなので思想の押し付けもありません。『超私的な独り言』くらいに流して頂けると幸いに存じます。

 

作曲に疲れたら・・・

もはや日課の墓参り・・・『澁澤先生、花替えにきたよ』

 

日々、自己哲学における“反戦”をいかに音楽に昇華できるか悩み続けてきた半生、、、そもそも音楽とは『聴く者の意識を覚醒させる何らかの力を有すべきもの』と個人的な確信をもっている。形式立った音符の構成もある意味大切であろうが、そこに楽曲における深い物語性の構築や構築物に幽閉された暗部の開放を自己思考によるソナタ形式を駆使し、確固たる思想と強靭な意志を持ってして完成されたものこそが私においての音楽の最も重要な形。また、それらを構築する上で欠かせないものが私にはあり、それはほとんどの作曲家が本能的に必須と感じ作品の構築のために勉強してきたに違いないであろうと私個人は考えている。『音楽は学識だけでは成り立たない、それ以外のもの(構築に至る強靭な思想とそれを昇華させた自己哲学、そして時に作曲者のレーゾンデートルも必要となる)』。そのために作曲者は音楽以外のものを必要としそれらを習得するために日々汗水垂らして吸収し、それらの知を少しでも我が心身の一部とすべく日々努力を重ねている。

それは、時に社会学であり、史学であり、文学であり、神学であり、哲学であり、はたまた物理学であったりもする。

 

〘澁澤龍彦がいてくれる人生に感謝〙

最も尊敬する歴史的人物、ブッダ先生(笑)。最も尊敬する日本人、鶴見俊輔。このお二方はきっと澁澤龍彦に感心しないと思う。

反戦音楽を志す者に似つかわしいものもあれば、一見真逆に見えるものもある。そのどちらも大きな構築物には重要不可欠と私個人は確信している。

それは、時に人間の【暗部】にこそ光に至るヒントが隠されていると思うからだ。

鶴見俊輔先生に面会する約束までしていたが、体調が回復することなく、面会を果たせぬまま他界され、非常に残念に思っている。単に『日本の知』を失った悲しみは計り知れなかったが絶望するまでには至らなかった。先に旅立った鶴見俊輔の名友小田実らの大いなる知と魂は黒川創が継承できる安心感が私の希望を繋いでいたからだ。

中村元先生を始め鶴見俊輔や、小田実、吉本隆明も読破し映像資料も可能な限り集め勉強させて頂いたつもりだ。どなたも皆偉大過ぎる賢者であり思想哲学の観点からしても余りある尊敬に価する畏怖すべき偉人である。

しかし『私には澁澤龍彦もいたのだ』稲垣足穂もフーコーも埴谷雄高も夢野久作も必要だし、若くは天野天街(※現在存命している唯一の人物)も必要とし、時としてはバタイユや大杉栄さえ大いに必要となるのだ。

鶴見俊輔も小田実も光を見出すために暗部に寄り添い続けてきた。『暗部から目を背けて光を悟る道は無し』・・・そう思うからこそ【私には澁澤龍彦が必要なのだ】・・・

ネコと遊びたいが十分な時間がない。

カレーが食べたい(大盛りで)、体に悪いか…?『でも健康サプリを飲んでいるからきっと大丈夫』…実に安易な方程式だ。極めて普通の人間過ぎて自分が情けない、、、

さあ、ロシアとウクライナに真剣に向き合う時間だ!

しかしふとよぎるのだ『澁澤龍彦は大盛りカレーは食べないよ、きっとそうだ』

☆追記 2022.4.20。16年間わたしたちを支えてくれた最愛の娘のキミは虹の橋を渡っていった。どんなときも側で支えてくれたキミに『感謝』という言葉を越えた何かを贈ろうとずっと探しているけれど、未だみつからない。もう少し先になるかもしれないけど虹のふもとで待っててね。またいっしょに暮らそう。音楽より愛すキミへ

 

※次回【雑記録】《ヌミノーゼ》(あるいは社会問題etc……と未定)予告

合理と非合理(ヌーメン)の対立から響鳴へのプロセス。全ては“Tenebrae”の支配の下に進められる最終的な答えでもあるが、それを追求してゆく段階にも「実は既に無意識としてその答えに支配され翻弄されていた」といった脳裏に抱えたまま表しうる真の“聖なるもの”を沈黙なる“Tenebrae”とし合理と非合理を順行と遡行という形で深淵の扉を・・・・(※この自身の哲学思案は10年前に一般に開示済である)

 

次回配信 予定曲

佐村河内守 拝