週刊文春から質問を受けた回答の全文

<佐村河内守様への質問>

 
(質問1)
音を〈視覚で捉え〉て作曲するとは具体的にどのような作業なのでしょうか。より詳細な説明をお願いいたします。
 
(質問2)
記事中の説明通り、〈9割がDTM上のデータ(音)を視覚で捉えること〉で作曲をするとして、残り1割とは何なのでしょうか。ご説明いただけますでしょうか。
 
(質問3)
この記事で語っている作曲の方法について、新垣氏は「未だにこのようなことを堂々と語っていることにガッカリした」とした上で「2014年の騒動で世間を欺いたことについて全く反省していないと思わざるをえません」と語っています。多くの人を欺き、傷つけたあの騒動について、現在、反省されているのでしょうか。佐村河内様のご見解をお聞かせください。
 
 新垣氏は、「サシでの対談をする申し出を受けますか」という件については、「上記の作曲方法の説明について、納得できる説明がない限り、正直、受けようがありません」と語っています。併せてお伝えいたします。
 
 
 

ご回答

新垣隆さん
回答します。
上記の質問が本当に貴方自身のものなら、大変失礼ながら、子供じゃないのですから、守られた安全地帯からイキがって吠えてないでサシで私の目を見てご自身の言葉で直接私に聞いてください。『誰に、どのように反省しているのか?』を含め、その時に目の前で全てお答え致します。
 
>>『上記の作曲法の説明について【納得】できる説明がない限り、正直、受けようがありません』とのこと、言葉で説明しても『それでも納得できない…』を延々と繰り返し、結局のところ映画『FAKE』で逃げたように、また逃げ切れるといお考えなのでしょう。
〔音を視覚で捉えること=音のVisualization〕について『未だにそんな有り得ないことを語っていることにガッカリした』のですね。あたかもクラシックが一番偉いかのような言い方に受け取れますが、今のデジタル時代でこのような発言は、クラシックに限定したことでない限り作曲家としては如何なものかと心配しております。
いずれにせよ、確かに口で説明し完全に理解し納得されるにはかなり難しいとは思います。
その意味でもサシの対論を受けてください。
 
長時間の対論の後、余った時間で貴方の目の前で音のVisualizationによる作曲法を説明しながら、例えばその場で貴方が出したテーマで作曲制作をご覧に入れます。1人で家にいらしてご自身の目で直接私の作曲制作を見れば一度で理解できます。
敢えて言葉を選ばず申しあげます。一対一の対論が叶えば、新垣隆さん貴方こそが世間を欺いてきた張本人であるという化けの皮を剥がして差し上げます。
 
この記事でも、きっとこの他にも、人を見下す人間のような物言いで、世間に【ご自身の正当性をアピール】されるのでしょうが、それはお好きになさってください。
また本回答はフェアであるよう、本誌記者の方に〘全文原文まま〙掲載頂くようお願いしましたが〔反省の一切に関しては新垣氏とのサシの対論の場で全て返答致します〕ときちんと上記に記していても尚、本回答の下に記者の感想として『本回答でわかる通り本人に反省の色は一切見られなかった!』などのトンチンカンな【新垣隆正当ありき文】で締め括られることも覚悟した上での回答です。
 
新垣さん、たくさんの人に守られた遠い安全地帯から吠えられても、私には一切響きません。
貴方に指示を与えてきた方が私に仰っていたようです『目を見てやりましょう』と。
その方の様々な疑惑や真相もお話ししなければなりませんしノーカット無編集でその方についてお訊きしたいこともたくさんございます。
貴方がこのサシの対論を辞退することは、その理由があたかももっともらしい如何なる理由であろうとも、私は貴方が【世間を欺いてきた自分の化けの皮が剥がされることを恐れて逃げた】と確信します。
ノーカット無編集、一対一のサシで対論しましょう。
『目を見てやりましょう』。
 
以上
ありがとうございました。
 
2022年2月19日
佐村河内守